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2020年1月17日

【兵庫】阪神・淡路大震災から25年、「ここで得た教訓を全国各地の防災・減災に活かさなければならない」と枝野代表が決意

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 枝野幸男代表は17日、訪問先の阪神・淡路大震災から25年を迎えた神戸市で式典などに出席後、記者団の取材に応じました。

 枝野代表は冒頭、震災で亡くなられた方への哀悼の意を示すとともに、ご家族やご友人を亡くされて心の痛みが残っていらっしゃる方へお見舞いの言葉を述べました。
 当時、1回生議員で災害対策特別委員会の調査団として発災から数日後に神戸や淡路を視察したことを振り返り「その時の衝撃、大変なことが起きたという思いが改めて蘇る」「こうした機会でないとあれだけ大きな災害があったことを忘れてしまうような復興を遂げられたことに敬意を表したい」と語りました。
 そして「自然災害は必ずいつかどこかで起こる。そこに向けてこの阪神・淡路大震災での教訓をしっかりと活かしきれているか、さらにここで得た教訓を全国各地の防災・減災に向けて活かしていかなければならない」と決意を語りました。

 記者からの主な質問とその回答(要旨)は以下のとおりです。

Q:政権交代した場合に災害対策として取り組みたいと考えていることは

 一つには昨年の相次ぐ豪雨災害でも露呈をしていますが、国としての統一的、かつ迅速な対応をする常設のチームが不可欠な時代に入っていると痛感しています。
 それは東日本大震災のときにも思いました。実際の仕事は各現場とつながっている省庁がしていただかなければいけませんが、その全体をマネージメントする力が一番求められる。それがいまの日本には欠けていると思っていますので、呼び方などはともかくとして、防災庁のような組織と一定の直轄チームを早急に検討していかなければならない。
 もう一つは、間接的に聞こえるかもしれませんが、さまざまな災害が起こったところで対応する自治体職員の数が大幅に減り、またその中での非正規(雇用の)比率が大変高くなっています。言うまでもなく非正規の方に災害対応の業務命令を出すことは基本的にはできないということですので、各自治体の万が一の場合の対応にあたられる職員の数が少なくなっている。これも昨年の相次ぐ自然災害等で痛感をしています。
 日常的な業務とともに災害があった場合でも、しっかりと与えられた役割を果たしうる自治体の力を取り戻せるような地域への財源・権限の移転を進めていく。実はこれが万が一の場合の住民の皆さんに対する政治行政の対応として重要なことだと思っています。

Q:共に闘うという呼びかけは20日で区切りを迎えるのでしょうか

 共に闘うということについて、さまざまな形で、まさに政権交代までさまざまな模索・努力を続けていくということであります。ただ昨日、福山幹事長が国民民主党の平野幹事長にお伝えをした私どもの認識としては昨年12月27日の幹事長間の確認事項に基づく一つの政党になるということについて、この間、少なくとも私どもとしては成し得る可能なすべてのことを提示しております。できればこれでお受けしていただきたいですが、それで難しいようであれば、国会も始まりますので違う道を選ぶべきだとわれわれは結論を出しております。

Q:違う道というのは別々の政党として選挙を連携して戦っていくということでしょうか

 少なくともスタートラインが、共同会派からさらに共に闘う体制を強めたいというところですので、共同会派という現時点での到達点から何をやったらいいのか、またいろいろとご相談をさせていただくことになると思います。

Q:関連で、国民民主党の中では、まず最初に合併を合意して、政党(名?)や政策についてその後協議をしていけばいいとおっしゃる方もいます。20日までに、そうしたとりあえずの基本合意を決断することは立憲として許容できることか

 国民民主党内部でのいろいろなご議論について私はコメントするべき立場ではないと思っています。ただ私どもから平野幹事長に昨日、福山幹事長からお伝えをしたのは、幹事長間の合意に基づいて党首間で10時間以上にわたって事実上ご相談をさせていただいた中で、われわれとしてできる提案はもうすでにさせていただいています。これをお受けいただけるかどうか、お答えをいただきたいということであって、お受けいただければ一番いいのですが、そうでない場合は幹事長間の確認事項の前に戻らせていただくということです。

Q:仮定の話で恐縮ですが、一つの政党にならなかった場合、これまでの野党連携に影響が出るとお考えでしょうか

 仮定のことにはお答えできませんが、昨年12月6日の私の呼びかけは、共同会派を作って一定の前進をしたことを出発点にして、さらに連携し共に闘う体制を強化できないかという呼びかけでございますので、少なくともいろいろなことがあってもその出発点に戻るだけだと思っています。