2019年11月21日
「表現の自由の現代的な視点――近時の事例から」について横大道教授からヒアリング 憲法調査会
立憲民主党は20日憲法調査会を開き、横大道聡(よこだいどう・さとし)慶應義塾大学大学院教授から「表現の自由の現代的な視点――近時の事例から」をテーマに話を聞きました。「あいちトリエンナーレ2019」や「KAWASAKIしんゆり映画祭」といった近時の「表現の自由」をめぐる問題を考えるための方法や筋道を示してもらい、議論の前提となる問題意識を共有しました。
会議の冒頭、山花郁夫調査会長は「表現の自由」をめぐりいろいろなところで萎縮的な効果が出ているような懸念を持っていると述べ、こうしたヒアリングを通じて議論を深めていきたいとあいさつしました。
横大道教授は、人権論の基本構図として「公権力が、私人の憲法上保障される行為・自由を、『規制』(ここでいう『規制』とは、刑事罰、行政罰、行政上の不利益、民事上の制裁等)することは原則として禁止され、例外的に正当化できない限り違憲である」ことを確認した上で、表現行為に対する国家の関わり方について「その侵害の度合いによって憲法上の問題の表れ方が変わってくる」として、(1)最も許されざる行為「検閲」(2)それに準じて許されない国家行為「表現内容に基づく規制」(3)場合によっては許される国家行為「表現内容に中立的な規制(時・所・方法の「規制」)(4)「規制」ではなく、場所や機会の提供、補助金の給付などの国家行為:「表現助成」(5)表現の自由の問題にならない国家行為「政府言論」(ガバナンス・スピーチ)――の5つに分類。「(1)が絶対的に禁止され、(2)もほぼ違憲と評価される以上、そのことを認識している国家が、あえてそうした行為を行うということはほとんどない」「現代国家は(3)と(5)の間で表現に対して関与することが多い。それをどのように考えるのかという点が主要な『表現の自由の現代的な論点』」「(3)に対する判例や学説の蓄積はあるが、(4)や(5)の補助金を出す、場所や機会を提供するという形での関わり方や、国家や自治体が自ら表現の主体となって市場に参入してくる話についてどうか考えるかについての議論の蓄積はこれまであまりなかった」と述べました。
その上で、あいちトリエンナーレの事件などの「近時の事例」については、(4)「私人の表現活動を支援するために『表現助成』を行う場合」と(5)「政府の立場を表明するために『表現助成』を行う場合」に絞って整理。(4)については、「『表現助成』の提供拒否・撤回が許されるのは、差し迫った危険の発生が具体的に予見される場合にのみ、例外的にそれが可能であるとしている(泉佐野市民会館事件)」とし、一方で金銭は有限であり、「芸術助成」は作品の芸術性を無視して決められず、それがどこまでが許容されるかが問題だとして、「表現内容に一定程度踏み込んだ判断が不可避の『表現助成』のケースもある」「専門家の判断を尊重し、それを覆すにはそれ相応の理由が必要」と指摘。(5)については、「政府言論は、政治自身が自ら発言することもあれば、政府の立場と一致する私的表現に対して援助を行うことで政府言論を行う」(4)と(5)の中間と、「政府言論が表現の自由の統制を受けないのは、その可否は政治過程で判断すべきであって、政府が発言者であることが明確でない場合には、政府言論だと主張できない」(4)と(5)の区別の仕方――について話しました。
こうした考えを踏まえ、近時の事例が(4)と(5)のどちらに該当するかについて、表現の自由の「制約」の態様や主体、その関わり方を具体的に振り分けて解説。まとめとして、「それぞれの事件は表現の自由の制約の主体や制約の理由、態様も千差万別であり、個性がある。これらの個性を捨象してすべて『表現の自由の問題だ』『表現の自由の制約事例だ』と言うことによって、ある意味萎縮が広がっていることを可視化するという意味ではメリットもあるが、分析が甘くなるという意味でのデメリットもあることを認識しておかないといけない。政治的な意味での当・不当の問題と、憲法に違反するかどうかの違憲・合憲の問題は別であって、表現の自由の問題として考えるに当たっても、そうした区別を意識しながらやると生産的な議論になっていくのではないか」と提起しました。
横大道教授の話を受け、その後質疑応答を行いました。