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2020年6月24日

「わたしだから、聞こえる声がある」。斉藤りえが北区に生きるひとりのシングルマザーとして語る「誰ひとり取り残さない東京」とは?

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下町の情緒が残るエリアでありながら、近年は再開発にともなって「住みやすい街」のランキングに入るなど、子育て世代からも注目を集めている東京都北区。街全体のにぎわいの中心にあるのは、80を超える商店街に集まる個性豊かな個人店や、小規模な居酒屋やスナック、クラブがひしめく飲み屋街だ。しかし、大企業に比べて資金力が弱い小規模個人店の集まる北区だからこそ、新型コロナウイルス感染拡大による営業自粛の影響は甚大だ。資金繰りに苦しみ、店をたたむ事業者も出る中で、「政治には頼れない」──街からはそんな声も聞こえてくる。

かつて北区で区議会議員を務めた斉藤りえは、緊急事態宣言解除後、北区の様々な人の声を地道に聞いて回る活動を始めた。青森県生まれで、1歳で病気により完全に聴覚を失った斉藤は、青森、銀座でホステスとして働いた後、2015年の北区議会議員選挙に挑戦、トップ当選した経歴を持つ。北区を「第二の故郷」と呼び、小学4年生の娘を育てるシングルマザーでもある。

持続化給付金の支給の遅れに運命を左右される飲食店、休校要請によって家庭で子どもの面倒をみなければならないひとり親家庭、マスクの着用で日常のコミュニケーションに支障をきたす聴覚障がい者、そしてバッシングにさらされる「夜の街」…。斉藤が聞こうとする声は、現在の政治がすくいとれていない小さな声だ。「ひとつひとつは小さな声かもしれない。けれど、地域に密着する政治家がその声をていねいに拾わなければ、このコロナの危機は乗り越えられない」。

緊急事態宣言解除後、感染症対策と地域経済の回復の両立は、日本全体の課題でもある。「誰かを切り捨て、置き去りにしてしまうような政治では、感染症対策も、地域経済の再活性化も、うまくいくとは思えないんです」。聴覚障がい者で、ひとり親家庭でもある自分自身にとっても、コロナの影響は大きかったと語る斉藤に、現在の北区の状況とあるべき政治の姿について聞いた。

「政治には頼れない。あてにして結局助けてもらえなかったときに、どうしようもなくなってしまうから」。支援の遅れに焦りを募らせる、個人店の危機感に直に触れた

──商店街が多い北区では、多くの小規模商店が街の人たちの暮らしを支えています。主に個人経営の飲食店や居酒屋、スナック、クラブがひしめくエリアは、街の名物です。新型コロナウイルス感染拡大の影響は、どう出ていますか?

商店街や飲み屋街は、個人店と地元客のつながりだけでなく、個人店どうしのつながりがとても強いのが特徴です。そういった人情味あふれる雰囲気が魅力になって人が集まり、街全体ににぎわいをつくり出しています。飲食店、居酒屋、スナックやクラブなどの個人店あってこそのエリアですから、このままでは街全体の活力が失われそうになっていると感じています。

先日、赤羽で働き、暮らし続けている飲食店の店主さんとお話する機会がありました。そのお店では正社員の給与を守るのが精いっぱいで、アルバイトは休ませることになってしまったそうです。「店がつぶれるより何より、それが一番つらかった」と、本当に悔しそうにおっしゃっていました。赤羽の飲み屋街では、社員の給与を大きくカットせざるを得ない個人店も多いそうです。

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──国や都の支援は届いていないのでしょうか?

先ほどお話しした店主さんと話していて印象的だったのが、「政治に頼らず、自分たちだけで最低限の雇用と給与は守る決意をしている。国にも助けてほしいけど、あてにして結局助けてもらえなかったときに、どうしようもなくなってしまうから」という言葉です。持続化給付金は着金が遅く、家賃支援はいくつも店がつぶれた今さらになって始まった。そんな状況だったから、「コロナ関係の支援策は、どうしてもパフォーマンスにしか見えない」とも言っていました。飲食店に限らず、同じ思いを持つ中小零細企業や個人店は多いでしょう。

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「声にならない声に耳を澄ませてきたし、これからもそうありたい」。ずっと変わらない、「“第二の故郷”北区へ恩返ししたい」という想い

──斉藤さんにとって、北区はどんな街ですか?

北区でお店を営む人たちとお話ししていると、街の人々のつながりに助けられてきたから、街を盛り上げたい、恩返しをしたいという話をよく聞きます。立場は違うけれど、この街に暮らすひとりとして、わたしもまったく同感です。青森から東京に来て、娘が生まれてから北区で暮らして、いろいろな人とのつながりに助けられて、区議として活動できました。北区はわたしの「第二の故郷」なんです。

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──そんな北区の2015年区議会議員選挙で、斉藤さんはトップ当選。4年間にわたり区議会議員を務めてきました。

わたしがしたかったのは、メインの政策には入らないような声を、しっかりと政治に届けること。区議として取り組んだことは様々ですが、当事者が政治に参加することで、実際に政治を、日々の生活を変えられる、と確信を持つことができました。

たとえば、音声同時翻訳ソフトが入ったタブレット端末が議会傍聴者に貸与され、聴覚障がいを持つ方も気軽に傍聴できるようになりました。感慨深かったのは、2020年4月に施行された手話言語条例(※)です。わたしが区議になった時点では、東京都内で手話言語条例を制定している自治体はなく、議会が開かれるたびに質問を重ねました。成立は大きな一歩です。この手話言語条例を、東京全体に広げたいと考えています。

細かな声を拾って制度や条例をつくっていくのが、地域に暮らす政治家の仕事です。これまでもわたしは、声にならない声に耳を澄ませてきたし、コロナによって地域が打撃を受けている今だからこそ、より一層そうした姿勢を大事にしたいと思います。

※正式名称は「東京都北区手話言語の確立及び障害の特性に応じた意思疎通の支援に関する条例」。手話が言語であるとの認識を広め、障がいに応じた多様な意思疎通手段の選択の機会の確保や普及の取り組みを進めることで、障がい者の円滑な意思疎通と、障がいの有無にかかわらず共生する地域社会の実現を推進するための条例。

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ひとり親家庭、障がい者、「夜の街」…コロナ後の東京から聞こえる声に向き合わなければ、感染症対策と地域経済回復の両立はできない

──コロナ後の政治に必要なものは、何だと思いますか?

政治に届きにくい声を、聞きに行く姿勢だと思います。たとえばこの3カ月間、小学校休校によって娘が昼間も家にいたのですが、わたしが仕事のときは長時間、ひとりで留守番をしてもらわなければいけませんでした。働かなければ生活できませんが、感染拡大が進む中では誰かにみていてもらうよう、頼むこともできません。これはわたしの周囲でも、多くのひとり親が直面した課題でした。

ひとり親世帯の相対的貧困率は約50%と非常に高く、「コロナ禍で仕事が減り、子どもの学用品も買えない」といった声も聞きました。以前からひとり親を取り巻く環境には様々な課題がありましたが、政治がちゃんと向き合ってこなかった結果だと思います。

それから、わたしのように主に口話でコミュニケーションを取る聴覚障がい者は、マスクで口の動きが見えないと、相手の話を理解するのがとても難しくなります。知り合いの難聴の方は、病院で自分の名前が呼ばれたと勘違いし、間違って診察されてしまったと話していました。また新型コロナウイルス関係の相談窓口が電話ばかりで、聴覚障がい者は相談することが難しいという声もあります。行政や医療機関で透明マスクの着用や、文字でコミュニケーションできるような体制整備を進めていくことが必要だと思います。

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──北区は飲食店やクラブ、スナックなど個人店のにぎわいが魅力のひとつですが、どのようにして感染症対策と経済対策のバランスをとっていけば良いと思いますか?

街の魅力を支えている人たちを支援から排除してしまえば、彼ら・彼女らを政治や社会から孤立させるだけではなく、地域経済の地盤沈下を招きます。それでは、肝心の感染症対策も、街の経済を下支えするための経済対策も、うまくはいかないはずです。

とにかく、誰も置き去りにしない姿勢が大事です。たとえば、わたしがお世話になってきたクラブやスナックといった業界でも、リーマンショックや東日本大震災後と比べても、今回ばかりは厳しいという声を聞きます。この業界には通常時から公的な支援はほとんどありませんし、コロナ禍の中でも小学校休業等対応助成金やセーフティーネット融資といった一部の国の支援策の対象から、当初は外されていました。

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「筆談ホステス」として銀座のクラブに勤めていたころ、同僚たちと。前列左が斉藤

──「夜の街」を感染源としてバッシングする風潮もあります。

クラブやスナックといったお店の方たちは、行政に先んじて独自のガイドラインを作って感染防止に努めるなど、危機感をもって対応を進めてきました。どうしてもお客さんとの物理的な距離が近くなってしまう職種は、他にもたくさんあります。感染症対策とそうした業種の事業継続をどう両立させるかは、みんなで知恵をしぼって考えていくべきことのはず。それにもかかわらず、名指しで一方的に偏見をあおるようなことはおかしいし、理不尽なことだと思います。

いわゆる「夜の街」は、福祉や行政も手の届かない、いろいろな事情を抱えた人の受け皿にもなってきました。わたし自身、高校中退後、就職先を見つけるにあたって友人に代わりに電話をかけてもらっていたのですが、聴覚障がいがあると話すと会う前から断られて、面接さえしてもらえなかった。聴覚障がいを持って働いているロールモデルは身近にいませんでしたから、どうやって生計を立てていけばいいのか、途方に暮れました。そんなときに、クラブのママが働かないかと声をかけてくれた。

かつてのわたしのように「夜の街」に助けられた人も、たくさんいるはずです。もしわたしが青森から東京に出てきて、ホステスとしての仕事を始めたタイミングでコロナ禍が来ていたらと想像すると、働けないのに生活費は高く、周囲に頼れる人はなく、かと言って田舎に帰ることもできず、八方塞がりでとても辛かったでしょう。

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「誰ひとり取り残さない東京」こそが、コロナ後の東京をリードする新しい政治のあり方

──「誰ひとり取り残さない東京」という言葉にこめた思いを聞かせて下さい。

北区の、そして東京の大きな魅力は、多種多様な人たちがひとつの地域にともに住み、働き、暮らしているところだと思っています。その中には、きっとこれまでの政治からは置き去りにされていた人たちもたくさんいるはずです。今までのようにバラバラに分断されたままでは、コロナ後の新しい東京をつくることはできません。

わたしが言う「誰ひとり取り残さない東京」は、今回のコロナの危機をきっかけに、これまで政治が置き去りにしてきた人たちも含めて、新しい政治のあり方をつくりたい、という意味なんです。

実は、飲食店の店主さんが話していた「政治に頼らない」という感覚は、わたしもよくわかるんです。それは「夜の街」で働いてきて、どこか政治や社会から切り離された感覚を持っていたからだと思うんです。ひとり親家庭にしても、障がい者にしても、「夜の街」にしても、これまで政治がメインの課題として取り上げてこなかった人たちを取りまく問題が、コロナ禍で一気に噴き出しています。



今はみなさん本当につらい状況にあるかもしれない。でも、だからこそわたしは政治の世界からそのつらさに寄り添い、政治を変えていきたい。これからも、「声にならない声に耳を澄ます」ということを、地道に実践していきたいと思います。

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斉藤りえ RIE SAITOH
1984年、青森県青森市生まれ。1歳の時に病気により聴力を完全に失い、聴覚障がい者となる。「人と関わることが好き」で、様々な接客業に挑戦。銀座のクラブ勤務時に、筆談を生かした接客で「筆談ホステス」として話題になる。2015年、東京都北区議会議員選挙に出馬し、トップ当選。2019年夏の参院選全国比例で惜敗。商店街を娘とぶらり歩くのが、癒しのひと時。
ライフストーリーを聞いたインタビューはこちら https://cdp-japan.jp/interview/33

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