多様性の尊重が、社会を強くする——日本初のオープンリーゲイ議員からのメッセージ

5日前

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2015年の東京都渋谷区、世田谷区を皮切りに、全国の自治体が同性パートナーシップ制度の導入を進めている。2019年4月1日時点で、同制度を持つ自治体は20。その中でも条例で定めるのは渋谷区に続き2例目。全会一致で可決されたのは同日に条例制定した岡山県総社市とともに日本初だ。

その豊島区議会で、制度成立に汗を流してきたのが石川大我。日本で初めてゲイと公表して当選、東京都豊島区議会議員を2期約8年務めた。性的マイノリティの当事者として、全国での講演活動や当事者の若者どうしをつなげるエンパワメントに取り組んだ後、政治を変えるべく区議会議員となった。

石川は当選後、すぐにLGBTに関する議会質問、勉強会を重ねてきたが、「進み方は遅かった」。転機は地域の当事者グループによる、同性パートナーシップ制度成立を望む請願。「しっかり取り組まねば、というふうに議会の空気が変わり、全会一致まで持っていけた」とボトムアップの政治の強さを体感したという。

この夏、国政に挑戦する石川に半生と今後の展望を聞いた。

料理が好きだったのは、「一人で生きていく」つもりだったから

——自己紹介を兼ねて、これまでの石川さんの経歴について教えてください。

4月まで東京都豊島区議会議員をしていました、石川大我です。2011年に、日本で初めてゲイと公表して当選しました。それまではゲイの若者の友人づくりを応援するNPO法人代表やマスメディアでの発信、国会議員秘書などを通して、性的マイノリティ当事者が自分らしく生きられるよう、活動してきました。

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——子ども時代のことを聞かせてください。

東京の巣鴨で、父と母、弟1人の家庭で育ちました。朝は家族4人揃ってご飯を食べ、夜6時には父親が帰宅する、とても仲の良い家族でした。母親と一緒に料理するのは、小さいころからずっと好きですね。母の実家は新橋にあった料亭旅館だったこともあり、とても料理上手なんです。

俳優だった父は朗読がうまくて、小さいころは毎晩、江戸川乱歩などを読み聞かせをしてくれました。その影響か、よく読書はしていました。「ぼくらの七日間戦争」など宗田理の「ぼくら」シリーズは、理不尽な大人に子どもたちがハチャメチャな方法で抵抗するところが、特に好きでしたね。そんな「僕らの」シリーズの反骨精神がLGBTの活動をするときにも根底にあるのかもしれません。

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——とても楽しそうな家庭です。

でも中学生のころ、自分が「同性愛者」らしいと気づいてからは、本当の自分を家庭でも学校でも出せなくて、孤独でした。好きになるのが男の子だったので、恐る恐る当時の広辞苑で「同性愛」を引いたら「異常性欲の一種」って書いてありました。衝撃でした。自分の気持ちは、周囲には絶対に知られてはいけない「異常」なものなのか、と。

親が死んだら家族を持たずに一人で生きていくんだろう、そのための生きる術を身に付けないといけない、と漠然と思っていました。だから、もちろん好きだったというのもありますが、料理を母と積極的にしていたんです。

「異常性欲」という何かおどろおどろしい感じのものと、自分が同じとは思いたくなくて。保健体育の教科書には「思春期の一過性」のものとあったから、中学生のころは毎晩、「自分は普通だ」「いつかは治る」と布団の中で自分に言い聞かせていました。

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25歳、インターネットで「普通に生活しているゲイ」に初めてつながった

——石川さんが当事者として活動し始めたきっかけは?

1999年、我が家がパソコンを買ったのが始まりでした。ある時インターネット上で、大阪の学生のゲイが開設した個人サイトを見つけたんです。僕は25歳のこの時まで、ほかの一般人の当事者と会ったことがなかった。だから「ゲイ」というのは、テレビに出てくる「オネエ言葉」を話す人しかいないと思い込んでいて。

でもネット上には、全国で「普通に生活してるゲイ」の日常が分かる個人サイトがたくさんあった。初めて見つけた時は思わず、「ここにいたのか!」って夜中なのに居間で叫んで、涙を流したのを今でも覚えています。それまでの孤独が癒されて、やっと自分を肯定できた。ほんとうに救われた気持ちになりました。

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——そこから、どのようにネットワークが広がっていったんですか?

ものすごいスピードでした(笑) 個人サイトの運営者たちと友達になったり、当事者が集まるイベントに顔を出したり。当時は憲法の研究者を目指していたのですが、性的マイノリティの人たちの講演を聞く中で、自分ももっと当事者を勇気づけられる存在になりたい、という気持ちが強まっていって。初めて「普通に生活してるゲイ」と対面してからたった3カ月で、人前で自分の経験を講演するようになっていました。

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「多くの人が知らないLGBTのライフヒストリーを書いた本があれば、理解がもっと広がるはず」と2002年に出版したのが『ボクの彼氏はどこにいる?』(講談社)。出版社も決まらない中でとにかく書き上げたという、想いのこもった一冊だ

——その後、政治に関わり始めるきっかけは?

日本人が海外で結婚する場合、「婚姻要件具備証明書」という、国の書類が必要です。ところが2002年、同性どうしの場合はこの書類を発行してもらえないことになってしまった。「これはおかしいから交渉したい」と発案し、国会議員と一緒に国に掛け合いました。結果、2009年には別の書類(独身証明書)を発行することで、日本人が海外で同性婚を出来る道が再び開かれました。行政を監視する立法の場のはたらきで、幸せにできる人の数が増えるんだと実感して、議員秘書の扉をたたきました。

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豊島区パートナーシップ制度成立の立役者に。5年間の取り組みが実を結んだ

——豊島区議として石川さんは、男女共同参画推進条例の改正による同性パートナーシップ制度の成立に奔走されました。これはどんな条例か、教えてください。

ここ4年ほど、渋谷区に続いて全国で次々と作られている同性パートナーシップ制度は、首長権限で変更できる「要綱」によるものが多いんです。一方で渋谷区と豊島区、岡山県総社市の場合は、条例により制度をつくりました。議会を通しているのでトップが代わっても簡単には無くならないという安定性があります。また、差別禁止規定を設けることで、より実効性が高い取り組みを民間企業に促せます。

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石川大我事務所には性的マイノリティの尊厳を表すレインボーフラッグや、かわいらしいぬいぐるみがたくさん置かれている。「政治に関わったことがない人も、子ども連れの人も来やすい事務所にしたい」との思いを込めた

——具体的にはどんなことに対応しているのですか?

たとえば、罰則規定はありませんが差別禁止規定があります。苦情処理のシステムもあるので活用してほしいですね。区と取引のある業者からは、「差別とならないためには何をしたらいいか」といった問い合わせが来ていると聞いています。また、区の制度ですから、町内会長の集まる定期的な会議など様々な場面で周知がされています。当事者に限らず、区内全体に関心が広がっているのは良いことだと思います。

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豊島区のパートナーシップ証明書

「地方は末端でなく、先端である」——ボトムアップの政治の強さを知ったからこそ、立憲から国政へ

——今回、立憲民主党から国政に挑戦する理由は?

立憲民主党が掲げている「ボトムアップ」の政治の強さを、豊島区の同性パートナーシップ制度をつくるにあたって実感できたからです。

5年以上前から制度成立に向けて議会質問や勉強会をしてきましが、なかなか前進しなかったんです。他の議員から「石川君の質問は権利の主張ばかりだな」なんて言われたこともあります。異性愛者の人たちと同じ権利がない、マイナスの状態をゼロにしたい、と求めていただけなんですけどね。

そこに2017年、「レインボーとしまの会」という性的マイノリティ当事者の団体が、パートナーシップ制度を作るよう、請願書を出してくれたんです。議会の空気が一変しました。他の会派も問題意識を強めて、ある会派は、先行していた札幌市を視察するなど、理解を深めてくれたんです。

——しかも全会一致での可決でした。

右も左も関係ない、人権の問題だと理解された結果だと思います。「お任せ民主主義」ではない、市民と議員が一緒に政治や行政を動かしていくことの力強さを感じました。元沖縄県読谷村長の山内徳信氏の「地方は末端ではない、先端である」という言葉があります。僕はこの言葉が大好きです。まさに同性パートナーシップ制度は、当事者が参加することで、国より先に地方自治体が先進的な取り組みができたと自負しています。

強いものはより強く、という政治が行われている今、いろいろなマイノリティの当事者がやむにやまれない思いで政治に挑戦しようとしています。立憲民主党で、ぜひ豊島区で実現できたボトムアップの政治を共有していきたいと思います。国政の場では僕たち当事者が声を上げることで、これまで実現しなかった法案審議を前に進めていけるはずです。

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豊島区パートナーシップ制度の成立を祝うパーティーで、第1号の認定を受けたレズビアンカップルと話す石川さん

性的マイノリティの権利を守る制度は、当事者以外も幸せにする

——国政の場で、どんな政策を実現したいですか?

LGBT差別解消法案と、同性婚はぜひとも実現したい。そういった制度は社会の分断を少しずつ埋めて、当事者以外も幸せにすると確信しているからです。

一緒に活動してる仲間で、母親にカミングアウトしたけれど受け入れてもらえず、10年近くLGBTの話題にはふれてこなかった、というゲイがいました。彼の実家がある札幌市で、先日パートナーシップ制度が出来たところ、そのお母さんから「あなたたちの制度ができたよ」と電話があったそうです。

お母さんは長年、息子を受け入れたい気持ちと、どうしても理解できない狭間で苦しんできたんだろうと想像します。制度ができて、公的に存在が認められることで、分断されていた人たちが再びつながるきっかけになる。当事者だけの利益ではないんです。

自民党による理解増進法案の内容はまだ詳細には明らかになっていませんが、LGBTに関する理解増進なら法務省がずっとやっています。それなのに現状が改善しないのだから、差別禁止に踏み込むべきだ、と思います。

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多様な価値観が共存できる教育の場づくりを

——性的マイノリティは自殺のリスクが高いとのデータがあります。人権を守る制度をスピーディーに作ることは、生命にかかわる喫緊の課題です。

日本の男性の性的マイノリティの自殺に関するリスクの調査では、異性愛者に比べて約6倍高いんです。実際この20年間で、ゲイの友人のうち3人が自殺しました。身近な人がこんなにたくさん亡くなることって、あまりないですよね。1日でも早く法案を通して、当事者が自己肯定感を持てるようにするのは、僕の使命だと思っています。

職場・学校の環境で「差別的な発言」を経験した性的マイノリティは、7割以上にのぼるというデータもあります。近年では、望まないかたちで周囲にゲイであることが知られてしまい当事者が亡くなるという、一橋大学での痛ましい事件もありました。性的マイノリティの問題に限らず、教育現場で多様な価値観の醸成ができる制度づくりも、今後取り組んでいきたいことです。

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「多様性の尊重」はきれいごとの理想論ではなく、日本社会を強くする戦略のひとつ

——今回は比例代表での挑戦です。

全国にいる性的マイノリティの声をしっかり集められる議員が必要だと常々思っていました。僕は議員活動をする前から20年にわたって、全国各地で講演やネットワークづくりをしてきた強みを生かして、地方からも都市からも声を届けられると思っています。

地方こそ、性的マイノリティの人権を守る施策が必要です。過疎化が喫緊の課題となっていますが、当事者はその地域社会が自分に対して抑圧的で生きづらいから、都市に出てきているわけです。

たとえばある地方都市で学校の先生をしていた人が、僕の講演を聞いた後カミングアウトしました。でも職場近くの居酒屋で飲んでいると、わざと聞こえるような大きい声で「この店にオカマがいるぞ」と周囲の人から言われたんだそうです。

こういった個人レベルでの抑圧を解消する一歩として、制度や法律の改変がある。もちろん雇用や賃金の問題もあるので、性的マイノリティが生きやすい環境を整えるだけでは過疎の問題は解決しません。ただ言えるのは、「多様性の尊重」はきれいごとの理想論ではなく、地方を活性化し、ひいては日本社会全体を強くしていく戦略のひとつなんだ、ということです。

三重県伊賀市ではパートナーシップ制度が出来たことで、ゲイのカップルが移り住んで、農業を始めたそうです。性的マイノリティの人権を守る制度は、地方に人を呼び寄せる一手になりうるんです。

——石川さんは大学卒業後、憲法学者を目指していたと聞きました。憲法に対する思いを聞かせてください。

自分が同性愛者だと受け入れられなかった中学生のころ、「すべて国民は、個人として尊重される」という日本国憲法の13条は自分を守ってくれる理念だ、ととても感動しました。なかなか自己肯定できなかった時期も、この条文があるから自分は生きてていいんだ、って支えになっていました。でも現政権によって、13条の「個人」が「人」という表現に改まる可能性もまだ残るなど、個人の尊厳の後退が懸念されます。注視していきたいです。

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孤立しているのは性的マイノリティだけじゃない。「わたしたちはここにいる」と声を上げられる社会に

——最後に、目指す社会像、政治家像を教えてください。

「票にならない」と言われ、放置され続けてきた課題に光を当てる国会議員を目指したいです。約20年前、性的マイノリティの問題に取り組み始めたころの講演では、理解のない参加者から「あなた方は親不孝だ」「認めると人類が滅ぶ」「生育歴に問題があるのではないか?」「性癖をおおっぴらに言うべきでない」といった心ない言葉を投げかけられました。関心を示してくれた国会議員もごく一部でした。

しかし今では、立憲民主党が「婚姻平等法案」を国会に提出するなど、性的マイノリティに関するニュースも増え、国会も関心を持つようになりました。

今の社会で孤立しているのは、性的マイノリティだけではありません。特に今の政権では強いものはより強く、弱くて困っている者は自己責任だとレッテルが貼られている。障がい者、シングルマザー、引きこもり、難病を抱える人、ワーキングプアなど、孤独の中でSOSを発信できずに、追い詰められている人がたくさんいます。

社会から声を聞かれないことによる抑圧感、一方で仲間に出会えた時の安心感、自己肯定感を僕は強く実感してきました。それに、同性パートナーシップ制度のように公的な制度をつくることで性的マイノリティが可視化され、声を上げやすくなりました。今こそ孤立した人をつなげて、「わたしたちはここにいる」と声をあげられる社会をつくりたいです。

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石川大我 TAIGA ISHIKAWA

1974年、東京都豊島区西巣鴨生まれ。明治学院大学法学部卒、早稲田大学大学院政治学研究科修了。2005年、ゲイの若者支援のためのNPO法人ピアフレンズを設立。代表理事を務める。2010年、国会議員政策担当秘書資格取得。参議院議員秘書を経て、2011年に東京都豊島区議会議員に初当選。日本で初めて公職に選出されたオープンリーゲイの議員として知られる。2015年に再選し、2019年まで務める。
著書に「ボクの彼氏はどこにいる?」(講談社)、「好きの?がわかる本」(太郎次郎エディタス)ほか。
趣味は美味しい料理をつくること。全国の市場めぐり。カメラはNikon派。巣鴨のお寺で篆刻(てんこく)も習い始めた。