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2019年3月21日

「不妊治療、がん治療を乗り越えて。多様な課題を解決する、まちづくりとしての政治」東京都江東区

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ここ20年間、人口が増え続けている東京都江東区。都心への交通アクセスの良さ、マンション建設ラッシュにより、子育て世代が続々と流入しているためだ。ただ、引っ越してくる核家族は地域社会とのつながりが薄く、実家の支援もあてにできないため孤独な育児に陥りやすい。

酒井なつみは、12年間にわたる看護師・助産師のキャリアを持つだけでなく、子宮頸がんや不妊治療を乗り越えた1児の母でもある。江東区には6年前から住み、区内の病院に勤務。江東区ならではの出産・育児に関する政治的な課題を、目の当たりにしてきた。 2017年に長女を出産。医療者と子育て当事者、2つの視点を持つようになった。

ただ子どもを持つまで、酒井の歩んできた道のりはとても険しかった。2014年に子宮頸がんに罹患。それが原因で先が見えない不妊治療も受けた。仕事との両立、精神的・経済的な負担がのしかかる、苦しい毎日の中で「医療者ではできない、政治なら解決できること」を意識した。

そんな酒井が昨年末、政治活動をスタートした。言葉数は少ないが、自分の経験や患者とのやり取りから生まれた、一つひとつの言葉は力強い。ライフストーリーと、今後取り組みたい江東区の課題を聞いた。

「お母さんが明るく子育てできれば、世の中はきっと明るくなる」

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酒井は三人姉妹の次女として、福岡県北九州市に生まれた。

家庭では真ん中の子によくある、自由放任な雰囲気で育ちました。三姉妹の中で故郷を離れたのは私だけですが、家族はいつも通り「なっちゃんなら大丈夫じゃない、やってみたら」と、特に抵抗なく送り出してくれました。

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中学時代は生徒会の保健委員長をしていたという。政治家を志すような、リーダーシップを発揮していたエピソードがあるのでは?

いやあ、自分ではリーダーシップがあると思ったことはないですね。休み時間は1人で読書していることも多かったです。生徒会をやっていたのも、先生に勧められたからでした。 看護師を目指して、看護専攻科のある高校に進学したのですが、3年生の時、先生から「将来は看護師チームをまとめる“師長さん”タイプだね」と言われて。たしかに面倒見は良くて、よく友人から相談を受けていました。聞き上手だったのを、先生たちが見ていてくれたのかもしれません。

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今も大事にしている言葉との出会いは、高校の母性看護学の授業だった。講師の助産師が「世の中のお母さんが明るく子育てできれば、世の中はきっと明るくなる」と話していたのが今も忘れられないという。

自立した女性になりたい、人の役に立ちたいと看護師の道を選びましたが、どこかゴールがぼやっとしていました。でもこの言葉で、出産、育児をわたし達がサポートすることで、社会を良くできるんだ、と一気に視野が広がったんです。

助産師として見てきた、「幸せばかりじゃない」妊娠・出産

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助産師学校の学生時代

卒業後の就職先には、東京都内の産婦人科を選んだ。看護師として働きながら勉強し、4年後には助産師免許を取得。助産師としてキャリアを積んできた。助産師として妊婦、産後ママへの育児相談・指導をしていると、酒井が目指していた「明るい子育て」とはほど遠い、孤独な親たちの姿があった。

実家からの支援が期待できず、つらい事例をいくつも見聞きしました。仕事と育児も両立している人は、子育て支援の地域活動にも参加しにくく、孤独です。まさに「孤」育てだと思いました。精神疾患を抱えるお母さんもいました。

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「とにかくがむしゃらだった」という出産現場で、印象に残っている場面は?と聞くと「グリーフケアかな」とぽつり。

お腹の中で亡くなった赤ちゃんを出産しなければならないお母さんの悲しみは、言葉で表せません。妊娠・出産とひとくちに言っても、みんなが幸せに生まれてくるわけじゃない。それに、女性の社会進出で不妊治療や高齢出産といった、体力的にも精神的にも大変な事例は今後増えてくる。妊娠・出産の暗い側面も忘れないようにしたいといつも思っています。

子宮頸がんになって考えた「本当にやりたいこと」

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酒井の人生に転機が訪れたのは2014年、28歳のとき。子宮頸がんにかかった。子どもを持ちたいと考えていた矢先だったという。

目の前が真っ暗になりました。当たり前のように続いていくと思っていた人生が終わるかもしれないという恐怖。どう人生を歩むのか、私にできること、やりたいことを本気で自問自答するようになりました。

治療ではがん専門の病院に通院。若者も含めたがん患者の多さに驚いた。

こんなにたくさんの人が、抗がん剤治療で外見が変わったり、仕事を辞めたりと闘っているのに、公的なサポートを身近に感じることがなくて。これはおかしい、と思いました。

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酒井は不妊治療の患者としても、地域行政の課題を目の当たりにしてきた。

わたしは体外受精と顕微授精という高度な不妊治療を受けたのですが、1回あたり数十万円かかりました。保険が適応にならない自費の治療です。都や区の補助制度は本当に助かるけれど、カバーできたのは費用全体の4分の1くらい。私のように疾患を持つ患者さんはもちろん、どんな方も等しく不妊治療のハードルをもっと低くしたい、治療費助成がもっと拡充されたら良いと思いました。

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助産師として見聞きしてきた地域の子育て世代の苦しみ、がん治療、不妊治療への疑問。医療者としてだけでは変えられない現実にぶつかり、政治活動を思いついた。

若い世代の女性が江東区議会議員選挙に出馬していたのを見て、これだ!と思ったんです。次の選挙の時、病気の再発がなく、子どもも持てていたら、わたしも政治に挑戦しようと決めました。

江東区を子育て先進区に!

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仕事を続けながらのがん治療、不妊治療を終え、2017年には待ち望んだ長女を出産。政治活動を始める決意を固めた。「江東区の魅力は何といっても住みやすさ。都心からのアクセスが良く、水辺や緑が多いのも子育てしやすい要素のひとつ」と、子育て重視の政治活動をスタートさせた。

他の地方議会の動きも勉強して、江東区を子育て先進区にしたいです。まずは子どもの虐待予防、学童保育も含めた待機児童の解消、保育の質の確保。女性の活躍、労働力、経済効果の面でも、フルタイムでなくても保育園に預けられるようにしたいです。

それから、育児というと世間の関心は共働き夫婦に向きがち。でも専業主婦は朝から晩まで家事、育児でずっと休みがないんです。専業主婦がリフレッシュできる保育サービスを柔軟に利用できるようにしたいです。

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江東区に限らない問題だが、「男性の家庭進出」も重要課題に挙げる。というのも、産後8カ月で自宅近くの保育園に娘を預けた時に、保護者会は「お母さんがやるもの」という雰囲気に違和感を持ったからだ。

夫までが「保護者会頑張ってね」と言ってきて、カチンと来ました。今は一緒にやるものと認識してくれていると思います(笑)。育児は男女関係なく、責任を負うという意識をもってほしい。

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不妊治療中の託児サービスは、酒井自身の経験から生まれた提案だ。

不妊治療に限りませんが、病院では待ち時間も長く、不安な気持ちで診察を待つことも少なくありません。子どもを預けられない方は連れて受診するのも大変なんです。まだ子どものいない患者さんへの配慮にも繋がると考えます。

「不妊治療」「がん治療」は、とてもセンシティブな言葉だ。酒井自身も、人前で当事者としての経験を話すことが正しいのか、迷うことがあるという。

自分の不妊治療、がん治療の経験を人前で言うのは、誰でもためらいがあると思う。でも街頭演説で「不妊治療」「がん」のキーワードを出すと、その人も当事者なのか、視線を向けてくれる人がたくさんいます。迷いもまだあるけれど、みんなが心の中に抱えている苦しさを、わたしが代弁していきたい。今はそう考えています。

「政治はまちづくり」―喉元過ぎれば・・・はもうやめよう!

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江東区で勤めていた病院前で。区内では初めて新生児集中治療室(NICU)を備えた病院に、オープニングスタッフとして入った。

政治家としては新人の酒井。「専門外の課題については、これから区民の皆さんの話をもっと聞いていきたい」と話す。特に気になっているのは、湾岸エリアに近年転入してきた「新住民」と、古くから「旧住民」の交流の機会が少ないことだ。子育てだけでなく、防災上の課題でもある。

わたしが接してきたのは子育て世代。でも江東区は他の地域と同じく高齢化は進んでいます。高齢者をはじめ様々な属性の人の声を拾い上げられる、対話重視の政治活動をしていきたいです。

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江東区は再開発が進む湾岸エリア、下町の風情が残る深川エリア、城東エリアと、いろいろな顔を持つ。お気に入りの団子屋さんの前で。

マンションのデベロッパーによるコミュニティづくり支援も打ち出される中で、酒井はあくまで区民による地域づくりを大切にしたい、と話す。

「政治はまちづくり」だと思います。誰かえらい人が遠くで決めてくれるのではなく、わたしのように普通に暮らしている区民が、自分たちの地域のためにつくり上げるもの。特に働く子育て世代は忙しくて、区報を読んだり、地域活動に参加したりしにくいですよね。正直、大変な時期を乗り越えられれば過ぎ去る問題と思っていて、次の世代まで問題が残ってしまう。だからこそ、行政や議員がもっと区民に届きやすい情報発信、仕組みづくりをすることが必要です。


酒井なつみ NATSUMI SAKAI

1986年、福岡県北九州市生まれ。私立自由ケ丘高校看護専攻科を卒業後、東京都西東京市で産婦人科の看護師として働き始める。2010年に助産師免許を取得し、助産師として働き始める。母子栄養協会の離乳食アドバイザー資格を持つ。

2013年、結婚を機に江東区に住み始める。同年より、新規開院した昭和大学江東豊洲病院の周産期センターで、開院スタッフとして勤務する。分娩介助や妊娠期から産後までの看護、新生児ケア、育児相談・指導、婦人科疾患の看護を経験。その後女性外来に異動し、産婦人科や乳腺外科の診察介助、妊婦の保健相談、乳がん患者の相談を担当した。

2014年子宮頸がんに罹患。手術・抗がん剤治療を経て、休職しつつも勤務を続ける。不妊治療を受け、切迫流産や早産を乗り越えて、2017年に長女を出産。2018年には8カ月の子どもを保育園に預け、復職した。趣味はヨガとお菓子づくり。

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